湧水町JR栗野駅での<むすんでひらいて つづいてく>
無事終了いたしました。
第三の部屋、「Switch とBack」
展示が決まると一番初めに、その土地について知ろうとする。
散歩や土地の人との会話。
今回はとても素敵な町立図書館があると聞き
そこで郷土誌を紐解いた。
旧栗野町時代の栗野駅はジャンクション駅で
廃線となった山野線が存在した当時は、今を想像もさせないほど人が行き交い
常駐職員は100人は居たという。
豊かな物流。
その中に 山を越えて届く水俣の海の恵みもあったという。
以下資料
「隠された水俣病1:山間の食卓にも汚染魚」『朝日新聞』09/10/30
国鉄水俣駅を午前6時10分に出る始発の車内は、生臭い魚のにおいに包まれた。乗客は仕入れた魚をかごいっぱいにした行商人たちだ。
1988年に廃線となった国鉄山野線。その列車は50-60年代、水俣駅から県境の険しい山をループ境で越え、55.7キロ先の内陸部、鹿児島県栗野町(現湧水町)までの地域に水俣の魚を届けていた。
それを知ったのち書いた詩を
持ち帰れるように
メモとして会場に事務紐で束ねて置いた。
<かつて
山 野
という一本の線がありました。
人や芋やネジや炭や牛や馬、
たくさんたくさん山と野を行き交った。
駅で働く、ひゃく人
夜の鐘も鳴らされた。
時間は もう ゆっくりひるがえって。
越えてゆくための 道が閉じられ
いま
水に名前を変えた町の 穏やかな扉。
手を 放したのかもしれない。
もともと ゆるやかな結びつきだったのかもしれない。
素材
陶
駅所蔵書物
事務机
布
造花
鉄道模型
栗野岳の木
竹
マスキングテープ
足をお運びいただいた皆様、
霧島アートな旅スタッフの皆様
ありがとうございました。
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